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原子力発電の何が疑問視されているのか?

戦闘的ネット論客として有名な池田信夫氏がなんか、微妙な立ち位置の変更(本人は違うというが・・・)してみたり、朝生での過激発言が物議をかもした勝間和代氏が明確に変節してみたり(とはいえ、自分の誤りを認めるのは大事なことですし、なかなかできることではないでしょう。そういう部分は評価していいと思います。もっともアルファブロガーの切り込み隊長こと山本一郎氏にはその後が余計と突っ込まれていましたが)と原発をめぐる動きがなかなか喧しい昨今ではありますが・・・。

ここで考えるべきポイントは3つあるように思います。というか、池田氏をはじめとする自称「合理主義者」の方々が非合理的にも無視している事象が3つあるように思います。

それは、放射線の影響の見積もり、代替エネルギーと原発の発電コストの算定、そして東電の施設マネジメントです。

まず、最初の放射線の影響の見積もりですが、池田氏はこれまでの原子炉による死者は2人(JCO臨界事故の際の2名ということのようです)、勝間氏もチェルノブイリではこどもの甲状腺がんの増加以外放射線の影響は見られなかったと言っています。

両者のデータは基本的にエスタブリッシュメント側、つまり原発を推進したい側から出た数字と考えていいでしょう。
今回、日本でも政府発表や東電発表が散々疑われているように海外では政府や大企業というのはデータの発表や政策遂行の面では必ずしも信頼されているわけではありません。
世界に広く「上に政策あれば、下に対策あり」という格言のバリエーションが見られる所以でしょう。

両者ともあまりにも無批判に体制側のデータを使っています。そういう意味では、過去の発言に一定の悔恨を示した勝間氏はともかく、自分は原発擁護派ではないと強弁する池田氏の姿勢には疑問を抱かざるを得ません。

では非エスタブリッシュメント側からはどういう見解が示されているのか、というと、たとえばグリーンピースは
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/kaigai/kaigai_06/06_04/060418_gp_Chernobyl.html
こちらではロシア、ベラルーシ、ウクライナ合わせて、チェルノブイリの影響で20万人が亡くなったと見積もっています。(IAEAの調査では4000人ということになっています)

さらに大胆というか、衝撃的な分析をしているのがこちらの論文。
http://www.globalresearch.ca/index.php?context=va&aid=17571

2004年までに100万人近くがなくなっていると見積もっているようです。
この著作物に関しては英語への翻訳や慣習を行ったジャネット・シャーマン博士がインタビューに答えています。
http://www.universalsubtitles.org/en/videos/zzyKyq4iiV3r/ja/26352/
(これは日本語字幕つきバージョン)

もちろん、この両者は基本スタンスが原発反対ですから、その分は割り引いて考えないといけないことでしょう。
でも、原発推進側から出ている4000人という数字とのあまりに大きな乖離は、実際の数字が4000人以上100万人未満くらいのどこかに落ち着くのではないか?という疑いを持たせるわけです。
そこから考えると、日本での原発が原因の死者を2名と見積もることには疑問があるように思えますし、チェルノブイリで小児甲状腺がんが増加しただけと言い切るのも信じがたくなります。


次に原発のコストについて考えて見ます。よく言われるのは原発は発電コストが安いということです。一方で、ここにはさまれる疑問は本当にそうなのか?ということです。
百歩譲って、今回のような事故の補償は計算外とするにしても果たして炉を廃棄する際のコストやその後数百年単位の長期にわたって保存管理しないといけないことへのコストなどが計算に含まれているのかも疑問です。

今週号のポストだったか現代だったかでは、その計算家過程を調べようと、計算書うだったかにその計算データの開示を求めたところ、「企業秘密」をたてに計算の過程はほとんどが黒く塗りつぶされていたということです。

反対派からは
http://www.geocities.jp/tobosaku/kouza/plice.html
http://members.jcom.home.ne.jp/greenhands/cost/C_index.htm
こちらのように原子力が圧倒的に安いというわけでもないという計算もある。

このあたりも、あまりに無批判に推進側の数字を鵜呑みにしているように思われます。

さらに、池田氏は客観性のあるデータを示しても感情論になる、ということにイラついておられるようですが、100歩譲って推進側のデータをそのまま前提にするとして、さらに原発がちゃんと運用されれば安全性の高いシステムだとしても、問題は実際には「ちゃんと」運用されていないマネジメントの問題にあるということをあまりに無視しすぎです。

確かに国民は絶対の安全を求め、電力会社側も絶対の安全という欺瞞を唱え続けてきました。でも、絶対の安全なんていうものがないことは国民の多くもわかっていたはずで、これは一種のレトリックとして、隕石の直撃などのようなあまりにも想定できないことは必ずしも求められていることではないでしょう。

もっとシンプルに地震国日本で想定される大地震、そしてそれに伴う津波程度にはびくともしないシステムであってほしいというラインあたりが現実的に求められていることといえるのではないでしょうか。

ところが、実際は今回の震災と津波で福島第一原発の体たらくは問題外として、福島第二原発も女川原発も無事に停止はできてその後も冷却が維持されたのは事実ですが、「びくともしない」レベルであったかどうかは多少の疑問が残ります。

今回津波も東電側は1000年に一度で想定外ということにしたいようですが、明治三陸沖地震、昭和三陸沖地震ともに30m前後の波高の津波に襲われているという事実があります。
もちろん、この波高は三陸海岸の特徴的地形で高くなったものでしょうが、それでもそういうものが来る地域であるということを想定していなかったとすればあまりにもずさんです。

そして、福島第一原発で「想定外」だったことが起こった以上、ほかの原発でも同様の「想定外」があるのではないか?という危惧が出てくるのは自然なことですし、これを感情論と切り捨てるのはそれはそれで別な感情論でしょう。

特に浜岡原発のような耐震性にも対津波対策にも疑問が抱かれている原発を大きな余震も予想されている今、止めることもなく平然と稼動させ続ける原発業界と政府の姿勢が疑問視する向きが出てくるのはこれまた自然なことでしょう。

全国の原発を一斉点検して、疑問のあるところは停止して対策が採られるまで再開しないというような対応がなされていない以上、ひとつならぬ原発がいい加減なマネジメントの元、今も稼動し続けているという不安を拭い去ることはできません。

もちろん、多くの人はそこまで厳密に考えて原発に不安を抱いているわけではなく、それはもっと漠たるものでしょう。
でも、その茫漠たる不安の原因は無知だけでなく、信頼できない対応しかとってこなかった東電や政府側に多くあるわけで、まずはそこを変えるところからはじめるしかないでしょう。

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