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今こそパラダイム・チェンジを

この期に及んで原発存続を主張する人が結構な数いるということは驚きです。

今週号のアエラで目を引いたのは、原子力関係者を中心に今回の福島前後で原発に対する姿勢が変わったかというアンケートでした。
反対派は当然、事故後も反対なんですが、ピックアップされていた数人に関して言えば、賛成派も事故後も変わらず賛成でした。

何を持ってそうするのか不明ですが、一部にはすでにチェルノブイリを超えたという言い方もされる今回の事故を経ても賛成派は頑固に賛成なわけです。

その急先鋒?のひとりがアルファブロガー(という言葉は往々にしてネット上での「札付き」のような気もしますが)の池田信夫氏。
3月26日の時点で「原発は経済問題である」とのタイトルでこんな文章を書いています。
http://agora-web.jp/archives/1290845.html

でも、彼がここで引用している原発の発電コストはあくまでも原発推進側の出している数字であるとか、そういう細かい部分もあるんですが、ごくごく素朴な疑問はこれだけの事故が起こってしまって、その復興や賠償、そしておそらくデッドゾーンになるであろう福島第一厳罰の周辺数キロ(数十キロ?)のロスを考えてもなおかつ原発は経済的、社会的に見合う発電システムなのか?ということです。

このへんは彼自身もトレードオフの問題だと言っていますが、事故があっても影響は基本的にそのサイトと直近の周辺に限られる自動車や飛行機はトレードオフを考えても容認できるとされています。
一方で、日本のような国土の狭い国家で、場合によっては1ミスで軽く数千から数万平方キロの国土が失われる原発のトレードオフが容認されるのか、ということはもはや経済問題を超えて社会問題でしょう。
人的被害も彼は1万人以上死ぬ技術ではないといいますが、福島第一原発のおんゴーイングな状況を見ていると、必ずしも楽観できない部分も未だにあるわけですし、今後同様の事故で対応を謝ればそれこそ、千人、万人規模での被害者が出る可能性も否定しきれないわけです。(死者という意味ではありません。単純に生きていればいいというわけではありませんしね)

そんなこんなで彼は原発は経済問題であってそれ以外の問題ではないと断じていますが、事はそれほど単純ではありません。

この人は頭はいいのでしょうがいい年をした大人の割には社会的視点がやや欠けていて、経済バカというか、視野が狭いというか、社会全体を俯瞰的に見渡す能力には問題があるといつも思っています。

さらに言えば、自分からビジョンを提示できるタイプではなくあくまでも評論家、ディレッタントタイプです。

だから、彼は既存の社会の枠から脱却できないのではないかなと思うのですが。
如何にもNHKの元エリート、そして人の褌で相撲を取る(そしてそれを自覚していないタイプの)マスコミ人上がりだなぁと思うんですが。

まあ、そんな彼は放っておいて、この災害を奇貨として例えば電力網だけに関していっても新しいビジョンを提示して展開していく必要があるんじゃないでしょうか?

今回の震災でみえた電力網の大きな問題は2つあると僕は考えています。

1つは計画停電のごたごたからも明らかな配電の問題。
もう1つは福島原発事故からも明らかな発電の問題。

この2つの問題をどうしていくか、今新しい社会ビジョンが求められていると思われます。

まず、配電網の問題ですが今回、不幸にして東北の多くの地域で街がまるごと破壊されるような甚大な被害がありました。しかし復興を考えるとこれは同時に全く新しいまちづくりができるきっかけでもあります。

例えば、街区ぐるみ、エリアぐるみ、1つの自治体ぐるみでスマートグリット実験特区することで、より効率的で柔軟な、そしてネットワークの冗長性を生かしたより堅牢な配電システムを作り出すことができるのではないでしょうか?

スマートグリッド技術はまだまだ不完全ですが、小さなエリアから始めることで実証データを積み重ねていけば5年後10年後20年後には日本がスマートグリット技術で世界の先端を独占することもできるかもしれません。

今回の震災を逆手にとって、日本国際競争力を取り戻すきっかけにはできないでしょうか?

そして、発電の問題では、ベースロードは今後も電力会社が基本的に担当するとしても、そのスマートグリッド配電網をベースに、家庭やビジネスが小規模な自家発電を展開していくことで、そこに上乗せしていく電力を分散して積み重ねていく方法が考えられるのではないでしょうか?

http://www.pref.tochigi.lg.jp/kankyoseisaku/home/keikaku/archive/shinenergy/pdf/8.pdf
この資料を見ると、ガスタービンのコジェネレーション発電システムはkwあたり10から20万円になるそうです。となると、1000kwあたり1億円から2億円です。1000万kwで1000~2000億円。
これって原発と比較しても決して高コストじゃないと思います。

さらに運用コストでも資源エネルギー庁のこちらの試算ではガスと原子力はそれほど差がありません。
http://www.enecho.meti.go.jp/faq/electric/q04.htm

ちょっと不明なのが、コジェネレーション発電の際の排熱を活用した場合はどうなるかということですが、原子力などではエネルギー効率が30%強なのが、ガスコジェネレーションだと、排熱込みだとたしか6~8割程度まで上がるはずで、トータルのエネルギー効率でも決して悪い話じゃないでしょう。

税制上の優遇策を与えたりすることや、排熱を活用して、都市型農業の可能性を探ったりしていくことで、電力だけではない新しい社会ビジョンも提示できるんじゃないかと想ったりしますしね。

短期的には東北地方で復興策として導入した場合、寒冷地である東北の地域性と排熱を活用するコジェネレーションとの相性も悪くないはずですしね。

そして何よりも、スマートグリッド配電網のレイヤー上に個別発電を乗っけることのメリットは、企画さえ合っていれば発電レイヤーの詳細は問わないことですから、現在は効率がわるい再生可能エネルギーの効率が上がったときに、順次置き換えていくことでより効率的な社会への転換も可能です。
この時も、小規模発電所の集まりであることがフレキシビリティーの高い小回りのきいた対応が可能になると考えています。

コンピューターの歴史やネットワークの歴史に詳しい人はもうおわかりなように、このパラダイムはコンピューターの世界で起こった巨大なメインフレームに個別にユーザーがぶら下がった昔のコンピューティングから、小規模コンピューターが相互接続されて機能分散する分散コンピューティング、クラウドコンピューティングと同様のパラダイム・チェンジです。

クラウドコンピューティングならぬクラウドジェネレーションで、より柔軟性のある次世代の電力網、発電システムを構築する、今こそのその時なんじゃないかと思うのです。

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カンニングマンセー!って言った人はいるんだろうか?

昨今喧しい、京大カンニングの話題。

もちろん、カンニングが悪いというのは大前提だとして、釈然としない気持ちが残るのはなんといっても「犯人」が逮捕されちゃったというところなんじゃないでしょうか?

カンニングで逮捕っていうのは如何にも重すぎる気がします。
その辺りに反応して、京大に批判的だったり、その「犯人」の少年に同情的なネットの上の様々な言論が展開されていると思うのですが、当然その反動もあります。

TBもしてみたけど、その中にこんなエントリがあります。

カンニングをほめていいのか? ‐ 森 邦彦
http://agora-web.jp/archives/1274131.html

閲覧数も多そうなLivedoor BlogosやAgoraに掲載されているので、素人の与太話として流すにはちょっとどうかと思うので、俎上に載せてみたいと思いました。

ざっと読むと如何にもカンニングした行為そのものが賞賛されているエントリがネット上に氾濫しているというような印象を覚えるんですが、実際問題としてそんなブログやツイッター上の発言がどれだけあるのでしょうか?

もちろん、個人が垂れ流すブログにはそういういうものもあるだろうし、多いのかもしれません。

ただ、この森某氏、ご自身よりも世間一般でははるかに高名であろうちきりん氏や茂木健一郎氏を槍玉にあげて、如何にも彼らがカンニング行為自体を賞賛しているかのような書き方をしていますが、実際にそうなんでしょうか?

もちろん、例示されているTwitterでの発言それだけを取り出すとカンニング行為を賞賛しているように解釈できなくもありません。

でも、茂木健一郎氏のブログのカンニングに関するエントリ
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2011/03/post-6403.html
を読むと、茂木氏が懸念しているのは「大学の自治」「大学の自由」であったり、警察に歌え出る前にカンニングが疑われる大学同士が連携してカンニング犯を割り出せた可能性やカンニングという通常は入試に落ちて終わるべき行為をこの後どうなるかは分からないにせよ、逮捕されその個人属性がかなり全国にばらまかれた状況の不公平さであることは明らかです。

さて、こうした状況をベースに感じるのはこの森某氏の情報リテラシの問題です。

Twitterは何故か日本では「簡易ブログ」という意味不明な説明付きで取り扱われることは多いですが、僕は突き詰めればより拡張されたチャットであると僕は解釈しています。

つまり、考えをせき止めて、まとめて評価する文章を書くことに相当するブログに対して、反射的に発言する会話に相当するのがTwitterだと捉えているということです。

例示されている「彼は日本のwikileaksだ!」という茂木氏の発言も「『インターネット活用アイディア賞』をあげるくらいの余裕とユーモアがほしい」という彼のフォロワーの発言に対する当意即妙な「返し」であり、いってみれば「ネタ」であり、そういうコンテキストから切り離して扱うことはその意味付けを歪曲する危険があります。
というか、事実彼は意図してか意図せざる結果なのか、歪曲して理解、再発信しています。

茂木氏の本来の意図、論旨を汲み取るには少なくともこのブログも考慮して考えるべきだし、そうなると彼の発言の方向性というのは全く変わってくるということを都合よく無視しているところが彼のエントリの大きな問題です。

さらに彼は「カンニングの是非を純粋に論じたい」というような根拠で以て
(1) 入試制度の問題点・あり方。
(2) カンニングに対する監視・罰のあり方。違法性、被疑者逮捕や個人情報が晒されたことの是非。
(3) 大学の自治について。警察の介入行為の是非。
(4) 今回のカンニング行為の画期性。
という4つの要素を議論から排除しています。

でも、このカンニング(とそれに対する京大の対応)に対する賛否の大半は、僕の印象では、この4つの要素が分かちがたく絡んできます。

上記、茂木氏のブログでも2と3が論旨として挙がっています。

それを排除してしまうことは言ってみれば刑事裁判において被告側の置かれた状況や情状要素をすべて排除し、単純に罪名罰条のみで機械的に裁くことに等しくはないでしょうか?

カンニングはいいのか悪いのか?という議論に純化すれば「悪い」という意見が大半でしょう。

彼は手前勝手に大事な要素を排除することで、自分の結論が正当化される方向に議論を誘導しているわけです。

今回の事件の問題性は本来、それ自体は刑事犯罪ではないカンニングという行為が京大側の対応によって刑事犯罪化されたというところに議論が百出する原因があるわけです。

彼は
>同様に不正競争行為であるカンニングも犯罪ではない。
>あたかもサッカーの試合でハンドした選手にペナルティを課すべき局面で、手の使用の是非や審判の権限を議論しているような状況である。
というような発言をしています。

でも、実際の状況を踏まえて考えると、前者は

不正競争行為であっても犯罪ではないカンニングが今回犯罪とされた、

わけですし

後者は

サッカーの試合でハンドをした選手が逮捕されたり、1回のハンドでサッカー界から永久追放されたに等しいペナルティーを課されているわけで、審判の権限ではなく、警察を導入した主催者側の対応の是非が問われている

わけです。

まあ、意見はそれぞれでしょうが、パブリックな場所で堂々と掲示されている意見ですから、あまりにずさんな場合は当然バックファイヤーもあるということで、難癖をつけてみた次第であります。

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