親にとって子どもは等しく大事なものじゃないかな
ある男おばさんの見た小保方会見
産経さん、相変わらず右巻きですか
NHKさん何か意図がおありですか ▼東日本大震災の3カ月後に訪ねた被災地の小学校に「自衛隊のみなさん ありがとう」の貼り紙があった。半壊して住人のいない家にも。救助に、遺体収容に、復旧作業に、身を粉にした自衛隊員への感謝をいたるところで見た。が、昨年のNHKの連続テレビ小説「あまちゃん」に自衛隊は登場しなかった。
▼後番組の「ごちそうさん」では、戦時中の防空演習で「とにかく逃げろ」と叫んだ主人公の夫が逮捕されるシーンがあった。朝日は空襲時の消火義務などを定めた防空法が「『命』より『国家』を優先」して多くの犠牲者を出したとする。毎日のコラムは「反戦という明確なメッセージ」に「エールを送りたい」と書いた。
▼本来、非難されるべきは市街地を無差別に空襲した米軍ではないのか。どんな意図があるのか、NHKの説明を聞きたい。ドラマだから、いや人気ドラマだからこそ影響が大きい。籾井(もみい)勝人会長や経営委員の言動以上に公共放送の姿勢が問われる。
相変わらず、産経はレベルが低いなぁと思うのですが、それにしてもこれはひどい。 こう言っちゃなんだが、読売や毎日、朝日に入れなかった人が行くんじゃないかと感じることがしばしばある。全ての記事の質が低いとは思わないが、時折驚くほど低レベルの記事にぶち当たる。これもその1つだ。
一つ一つ粘着質に潰していこう。
まず、あまちゃんと自衛隊の話題。
このコラムの著者は果たしてあまちゃんをちゃんと見たのだろうか?あまちゃんには自衛隊どころか復興の風景自体がほとんど登場しない。いや、復興どころか被害の風景すらミニマルだ。
はたして、まだまだ震災や津波にトラウマの多い放送当時(というかおそらく今でもそうだろう)、震災をどう描くのか?というのはドラマの開始当初から話題になっていた。
なにせ、「あまちゃん」は震災復興応援ドラマだったわけだから。
で、結局、クドカン、そしてNHKの演出陣はなかなかの奇策でそれに応じてきた。
自身が発生した時、ユイは南三陸鉄道に乗っている。トンネルの中で列車は急停止。 様子を見るために、大吉が列車を降りてトンネルの外に向かう。ユイはそれを追う。トンネルの外の風景を見た大吉がユイに叫ぶ「来るな!」しかしユイは外の風景を見てしまう。目を見開くユイの表情のアップ。 そして自身で寸断された線路などの断片的なインサート。
以上だ。細かく言えば、副次的にアキがGMTの練習場にいるときに自身が発生して揺れるというようなところもあるが、東北での地震のときの描写はほぼ上記だけ。 津波に至っては実際の描写は確かほぼゼロであった。
そして次の回からはかなり時間が飛んで再開される。
つまり、実際の震災の風景、特に津波に関してはほぼ皆無。復興の風景もほとんど出てこなかったはずだ。自衛隊は意図的に排除されたわけではなく、被災者の気持ちに配慮して震災を具体的に連想させるシーンはミニマルに抑えられていたのだ。 しかし、視聴者それぞれの心のなかにある震災の風景を呼び起こすことで、震災を描き切ったわけでそれは放送時にもかなり話題になったはずだ。
著者は何を観ていたのだろうか?
「ごちそうさん」の防空法に関する部分もピントがずれている。東京を始め、各地の都市を爆撃した米軍の行為が批判さるべきかどうかは議論の分かれるところかもしれない。ただ、それはそれとして、ここで「許すまじ!米軍!」とやることがドラマの文脈からするとどれだけ的外れかこの著者には理解できないのだろうか?
そもそも、悠太郎が逮捕されたのは訓練の際に、消火に専心するより逃げろということを言ったことが原因だ。そしてこれは防空法が、市民の命を守るであろう避難よりも、消火を優先していた当時の世情を表しているわけで、ここで米軍云々を言い出すのは、もう壊滅的に読解力というか論理的な思考力というか、もう人間としての全てが欠けているとしか言いようがない。
防空法を嚆矢として、このドラマでは国民の命よりも国体を優先した戦前の為政者の欺瞞を描いているわけだ。それとも著者は戦前のあり方のほうが良かったというのであろうか?
さらに言えば、日本を取り巻く状況で言えば、最初に戦略爆撃を行い、市街地を爆撃で焼き払ったのは重慶での日本だ。1938年から5年足らずで200回以上の絨毯爆撃を行い1万人以上の民間人犠牲者を出している。 確かに、アメリカの空襲による被害規模よりは小さい。しかも5年足らずという長期間での被害者だ。しかし、民間人を爆撃したという事実は否定出来ないし、まあ言い訳ではあろうが、アメリカは日本への空襲や原爆の投下の根拠としてこの重慶爆撃を理由にすることもある。
その辺りを知った上での上記の文章なのだろうか?文章を読む限りそうだとは到底思えない。この程度のことも知らない人間が新聞記者として「人気コラム」とらやを執筆している産経新聞の内情はお寒い限りだと嘆かざるをえない。
まあ、こんなザコのようなブログで批判されても痛くも痒くもないのだろうが、公の場でモノを言うのなら、しかも一応、「公器」の名を借りて行うのなら、もうすこし物を知っておくべきだろう。
はっきり言うが、バカと無知はモノを言うべきじゃない。まあ、言論の自由があるから言うのは勝手だが、このネット時代、最低限の勉強もしないでモノを言ったら反動があることを理解すべきだ。
しかも、個人の与太ブログじゃない。金をもらって仕事としてかいているのだ。もう少しクオリティーを追求しないと読者にもうし分けが立たないのではないか?
伝わらないのは主張ベタ?
竹田恒泰氏に感じる違和感
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なにげに良ドラマ
歴史認識の問題じゃないと思うんだけどな
NHKの新会長、籾井勝人氏が早速やらかしてくれた件。
世間では、当然とか言うべきを言っただけとか言う肯定がある一方で、批判派の中にも実は籾井氏はなにげに強制連行を認めているじゃねという意見があったりと誰が味方で誰が敵かわからない状態でありますが・・・。
それはそれとして少なくとも籾井氏とオイラは歴史認識は共有できそうにないな・・・ということは措きましょう。
実は歴史認識はどうでもいいことだと思うんですよ。
問題なのはwikiのまとめから引っ張ると・・・
>特定秘密保護法に関する質問について報道が少ない・姿勢が政府寄り、との指摘には「(国会で)通ったこと。あまりカッカする必要はない」。
>竹島問題・尖閣諸島問題の質問ついて「日本の立場を国際放送で明確に発信していく、国際放送とはそういうもの。政府が『右』と言っているのに我々が『左』と言うわけにはいかない」。
>放送内容の質問については「日本政府と懸け離れたものであってはならない」。
という歴史認識とは直接関係ないところにあると思うんですよ。
この3項目ってまとめると、NHKは政府の方針により添えってことですよね。
で、ここはそうであるとした上で・・・。
NHKが政府の方針に寄り添うのが本当にいいのか?問題はそこです。
NHKは国営放送ではありません。公共放送です。
この違いは政府の側に立つか、国民の側に立つかの差だと思っています。さらに噛み砕けば、政府の方針に寄り添うか寄り添わないかということです。
国営放送といえば、わかりやすいところで言えば中国中央電視台や朝鮮中央テレビと言い切って過言ではないでしょう。
この2つのチャンネルの報道を見た時にあなたはどう思いますか?
放送内容が例えば、歴史上の意見の分かれる問題、それも中国や北朝鮮のカラム問題についてだったら。
放送内容は中国や北朝鮮の都合のいいものと思いますよね?
一方、公共放送の雄、英国BBCの場合はどうでしょう?
結果として英国にとって都合のいい内容だったとしても、上記2つの国営放送よりは信頼できると感じるのではありませんか?
それはBBCが第二次世界大戦中もその報道でイギリス軍を「我が軍」と報道しなかったことと無関係ではないでしょう。(まあ、BBCも不祥事は不祥事でありますし、政府との距離のとり方には苦労している部分も見受けられますが)
NHKも同じです。政府に寄り添った「国営放送」だと思われたら、放送内容が事実だとしても日本に都合のいい内容だと思われてしまうのです。
逆にBBC同様、政府批判をすべき時はする、そう言う放送局だと海外の人にも思ってもらうことができれば、その報道内容に信頼を持ってもらえるわけで、引いては日本の国益に適うのです。
今回の籾井会長の発言の一番の問題はNHKののそういう信頼を残ったことで、これはひいては将来の国益を損なう可能性も無視できません。
こういう言い方をするとアレですが、じゃあ、今回の籾井氏の発言を良しとする層にお伺いしたいのですが、仮にNHKが政府方針に寄り添うべきだとするなら、民主政権中に民主バンザイな報道をしたらどうでしょう?
政府に寄り添うというのはそういうことです。
そう考えると、じつは歴史認識なんてどうでもいい問題だと思いませんか?
言葉の力
ありがとう、ごちそうさま、ごめんなさい。
最後の1つはちょっとトーンが違いますが、この3つの言葉って人間関係の潤滑剤です。
ありがとうって言われて悪い気がする人はいないだろうし(ごく稀にそうじゃない状況もあるでしょうが)、ごちそうさまはプロも含めて料理をつくった人にとっては何よりの報酬だと思います。
ごめんなさい、もこの一言が人間関係を救うことは多々あるはずです。
言葉の力って侮れません。日本語には「言霊」っていう言葉があるくらいですからね。
言葉は斯様に力強く、そして何より使用料はタダです。
どこも登録商標にしていないし、使用料を徴収する著作権団体(苦笑)もいません。
多分、使うにあたってのコストは1キロカロリーにも満たないエネルギーと、時には無駄なプライドを捨てる勇気が少々。
言われた側はそれなりにいい気分になるだろうし、言った側も損をするわけでもない、いわば正のスパイラルを生み出す手法の一つだと思うんですよね。
実際、ジョブズクラスの能力や才能があるのではない平凡なオイラのような人間には人生の荒波を乗り切る上で一番心強い武器・防具の一つであるように思います。
ちょっと前になりますが、そんな「ごちそうさま」を巡ってネットの一部で論議があったようです。
きっかけは
言い方は悪いが所得の低そうな人ほど、牛丼チェーン店で店員に「ごちそうさま」と言う(本来不必要なレベルの)礼儀正しさを備えているように思えるのは興味深いというツイート。
確かに、上から目線(「興味深い」の部分)だし、根拠もなく人を「所得が低そう」と決めつけることも誤解を招きそうではあります。
で、その後色々炎上したようです。
これまで全くそんな印象はなかったし、僕自身も政府統計では低所得ではないけど、牛丼チェーンも含めて食事をしたらお店を出るときには「ごちそうさま」ッて言うようにしているし、子どもにもそうしつけている。(ちなみに、コンビニなどの販売店系だとここが「ありがとうございます」になります)
むしろ、ごちそうさまとありがとうがきちんと言える人は親がきちんと躾をしたんだなっていい印象を持つので、こう感じる人はどんな人なんだろうなと思ったんですが・・・。
はてな周辺でそこそこ有名な方みたいですね。
発言した方のオリジナルのツイートやブログは削除されたり閲覧不可能になっているので詳しい経緯はわからないところもありますが、まとめサイトなどを見るとご本人は・・・
僕が知る限りこの国はごちそうさまを言わないことで合理性のある処罰を受けるシステムはなかったはず
そのうち「ごちそうさまを言わないなら死ね」くらいは言われそうだな
などと反応を示されていたようです。
まあ、悪意で言ったわけではないでしょうし、ご本人もいろいろ不本意なところがあったのだろうと思うのですが、彼が(でいいんですよね?)最初に「ごめんなさい」と言っていれば多分ここまで炎上しなかったんじゃないかなどと思いつつ・・・。
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